ジョージ・フロイド氏死亡による警察への抗議デモがアメリカ中で勃発

2020年6月1日アメリカ,人生・生活

ジョージ・フロイド氏死亡による警察への抗議デモがアメリカ中で勃発。多くの方から、私の安否を気遣うメッセージをいただきました。

はい、私は無事です!心配のお言葉、とてもうれしかったです。ただ、全米各地で暴動が勃発している中、ロサンゼルスもまだ、デモ隊が多く活動しており、緊迫した状態が続いています。

ジョージ・フロイドデモとは

ニュースでご存じの方も多いかもしれません。先日、ミネソタ州で、黒人であるフロイドさんが警察に逮捕される時の画像が発端でした。

フロイド氏は手錠をかけられ、地面にうつ伏せになりながら、白人の警察官に足で、首をおさえつけられている痛ましいもの。息ができない、助けてくださいと叫んでいるのに、警察官が平然としながら、長い時間、首を押しつけている様子が映っていました。

その後、フロイドさんは救急車で運ばれて病院で死亡が確認されました。全米の怒りをかったのは、この虐待とも言える警察官の行動と同時に、その後の警察の対応でした。

警察が残した逮捕レポートによると、フロイド氏がひたすら抵抗したので抑えつけたと書かれているが、他にもビデオがあり、氏は全く抵抗していないことが判明したそうです。

関わった警察官たちは結局、殺人容疑で逮捕されたそうですが、そこに至るまでの経過も、不信な点が多く、警察が何か裏工作、偽造しているのでは、と全米の不信感が爆発することになったようです。

そして、このような警察官による虐待、人種差別、裏工作は、今に始まった訳ではなく、昔から市民が感じていた、あるいは経験していたことであるとされています。

デモから暴動へ

デモ(デモンストレーション)は、アメリカでは個人、市民が、意思表示をする一つの行動として認められており、それ自体、阻止されるものではない、と私は理解しています。間違っていたらご指摘ください。

しかし、これは、暴力や破壊行動が、伴わないデモのこと。危険物を使ったり(爆弾、銃器、他)、物を破壊したり、他人を襲ったり暴力をふるうことは、違法行為であり、禁止されているし、当然犯罪です。全米各地で起こっているデモ隊は、静かな非暴力の行進だけであるところもあります。

しかし、昨日のロサンゼルスのデモは、もはや暴動とも言うべき破壊行動が伴い、パトカーや市内の商店が次々と壊され、店から商品を盗み、放火による火災も各地で発生しています。

昨日も私は、勤務先の動物病院から帰宅する時に、フェアファックス地区という、暴動が起こった近くを通らなくてはならなかったのですが、多くの若者がプラカードを掲げて歩いており、街のお店のドアはべニア板で覆われて、物々しい雰囲気でした。
怖くて、一目散に運転して逃げてきました (-_-;)

外出禁止令

新型コロナウイルス禍では、Stay Home という緊急事態宣言が発令されましたが、それよりもさらに厳しい、「外出禁止令」が、昨日の夜、ロサンゼルスに発令され、今夜もまた同様に、夜間外出が禁止となっています。

ステイ・ホームの場合は、例えば、仕事に行くとか、食料品や薬を買うためにお店に行くなどの外出が許されています。しかし、「外出禁止令」の場合、絶対禁止なのです。

外を歩いていたら、逮捕もありうる、という状態です。そのくらい、危険なので外出はしないように、ということです。警察官は、皆、デモ隊の暴動阻止のために忙しくしています。こういう時は、関係ない盗難や車あらしなど、町中の治安も悪くなります。

怒り

政治や、国の保安体制に不安、不平があり、怒りを感じこともあるでしょう。人間は、喜びや悲しみ、怒り、寂しいという気持ちを持ち、それを表現することは当たり前のことです。でもどんなに怒りが激しくても、それが破壊行動や、盗難、他人に対する暴力が伴うべきではないです。

それから、怒りや絶望を、自分に向けて、自傷行為や自殺行為に及ぶのも、絶対にあってはならない悲劇だと思います。意思表示をした後は、その後話し合いをし、お互いの意見を冷静に伝え、分かり合うように双方が努力に努めることができるなら。。。

怒りの先には、解決がなくてはいけません。

どうでしょうか

今の時代、SNSやブログを通して、誰もが、比較的簡単に、自分の意思表示を発信できるようになりました。

何かを訴えることは自由です。りっぱな事です。

ただそれを、訴えるだけ、非難中傷するだけが目的になり、その後に話し合ったり、和解したりしないのならば、それはただのいじめではないでしょうか。

アメリカの抱える人種差別問題は根深く、また、国家を守る警察に対するアメリカ人の不満や怒りも、日本とはまた違うかもしれません。

ただ、怒りの先が、国や警察であれ、組織であれ、個人であれ、その人に向けて、主張するだけであってほしくない。

暴言を吐くだけであってはならない。

暴力や破壊行動、いじめ、無視であってもいけない。

わかりあおうと努力する、そして最後は相手を許すことができたなら。一人一人が、文章を書きクリックする時に、気を付けない限り、平和な世界は戻らないのではないでしょうか。

パトカーのサイレンを遠くで聞きながら、祈るような気持ちで書いてみました。

2020年6月1日アメリカ,人生・生活

Posted by Dr. Yuko Nishiyama