メダルより馬の命を選んだ、日本人オリンピックアスリートの話

2021年7月14日アメリカ,人生・生活,動物愛護

もうすぐ東京オリンピックですね

世界がまだ新型コロナと戦っている中、日本は無理やりオリンピックを開催する感じですね。
開催するからには、責任もってしっかりやっていただきたいです。
コロナも心配ですが、世界中からのアスリートが集まるイベント。
テロ対策とか本当に大丈夫なんですかね。
私がもしテロリストだったら、サイバーハッキングかなんかで、電子機器やネット通信や電機系など狙うところ。笑。
どうかどうか、すべてに対して万全に運営していただきたい。

昔のオリンピックでのちょっと良い話

10年くらい前に、この話を私自身のブログに書いたことがありました。

はるか昔、1932年にロサンゼルスで行われたオリンピックで、ひとりの日本人が、競技の最後に、馬の命を救うために自ら馬を降りたという実話です。

この度、東京オリンピックが開催される時であることで、この話が美談として取り上げた記事を目にしました。
馬は私の専門ではありませんが、ぜひもう一度、皆さんに考えていただきたく、ご紹介したいと思います。

総合馬術競技耐久種目

記録によると、この競技は22マイルという長距離の馬のレースで、道中に50の障害物が設置され、馬はそれを飛び越えながら、体力の限界に挑戦するという耐久レースであったといいます。

馬に乗って競技に出場したのは、城戸俊三中佐という方で、おそらく軍人さんだったのでしょうか。
愛馬の「久軍」(きゅうぐん)にまたがり、順調にレースを走り、ゴールを目前にして、最後の障害物を飛び越えるという時のこと。

19歳という高齢であった久軍は、その時、体力の限界に達し、激しく息をして、今にも倒れそうな状態になったとあります。

久軍の全身からは汗が吹き出し、鼻孔は開き切り、荒い呼吸で力つきた状態でありながらも、それでも懸命に最後の力を振り絞り、障害物をジャンプするために、前へ進もうと一生懸命もがいていたという。

「このまま最後の障害を飛び越えたら、久軍は力尽きて死んでしまう」と城戸俊三中佐は思いました。

愛馬を見殺しにして優勝するか、競技を放棄して愛馬を救うか
という究極の選択を迫られました。

ゴールは目の前。
あと1つだけ、障害物を飛び越えれば、メダルに手が届くという状況です。
しかし城戸俊三中佐は、メダルよりも、自分の馬の命を優先しました。
中佐は咄嗟に馬を降り、そのままさらに、突き進もうとあせっている久軍をなだめて、「もういいから」と言いながら、馬を止めたそうです。

久軍はトレーニングされたかしこい馬。途中でレースを放棄するべきではないことは、ちゃんとわかっていたのでしょう。
主人の心を知ってか久軍はその時、中佐の肩に鼻を埋めて、まるで、「ごめんなさい」と謝りながら泣いているようにふるまったと言います。

その馬と中佐の姿を見ていた数名の審査官たちも、その場で思わずもらい泣きをしたそうです。

日本人の動物愛護の心を称える

この話は当時、ロサンゼルス当地の日系新聞である「羅府新報」に取り上げられ、その記録が今でも残っています。

「熱涙を呑んで/城戸中佐馬を救ふ/最後の障碍で棄権」

当時の新聞に、このような題名で報じられました。

城戸中佐の、メダルよりも馬の命を優先した咄嗟の判断と愛情は、当時のアメリカ人の心にもしっかりと響き渡ったようです。

2年後の1934年には、アメリカ人道協会より2枚の記念碑が贈られ、中佐が馬を救った精神を称えた文章が刻まれました。
そのうち1枚は、今でも、ロサンゼルス郊外のリバーサイド郡ルビド山という場所の公園に保存されているそうです。

少し前に、北海道帯広市のばんえい競馬の競技の最中に、動物虐待ではないかという行為が話題になったのは、記憶に新しいですね。

詳しい事情は知りませんが、生き物と行うレースや競技は、負傷事故や、時には命にも直結します。
勝敗を競う真剣勝負のレースの中にありながら、動物の命を優先する心は、その人の人間としての強さとやさしさではないでしょうか。

優秀な登山者ほど、悪天候や悪条件の時に、登頂をあきらめる判断をし、事故を予防すると言います。

無理をしないでストップする、という単純なことが、実はどれだけ難しいことか。

保護活動をしていると、ついつい、もう1匹、もう2匹、と無理をしてしまうことはありませんか。

ついつい、残業で仕事をしすぎてしまっていませんか?

88年前の、1人のオリンピックアスリートから私たちが学ぶのは、動物愛護の精神と同時に、人としての強さなのかもしれません。

2021年7月14日アメリカ,人生・生活,動物愛護

Posted by Dr. Yuko Nishiyama