ケンちゃんを想う
私の住むロサンゼルスのPストリートは、閑静な住宅街にある小さな道。その先に、小学校があり、その横に小さな公園がある。
ブランコと、砂場と、滑り台と、コンクリートのバスケット練習場。
そして芝生と、ベンチがいくつかあるだけの、ロサンゼルスでは典型的な市民の公園である。ケンちゃんは、数年前、この公園に捨てられていた猫だった。
当時ケンちゃんは、ボロボロで、痩せて、ノミだらけで、弱っていた。Pストリートの端、公園の横に住んでいるおばあさんが、かわいそうに思い、餌を与えてみた。
ケンちゃんは、バクバクと餌に食いついた。相当お腹が空いていたらしい。でもケンちゃんは、餌は食べるが、家の中でじっとせず、いつも外に行きたがる猫だった。
おばあさんが、獣医に連れていき、弱っていたので治療をし、その後ワクチンを打って世話をした。その時、マイクロチップが入っていたので、もとの飼い主がいると信じ、連絡をした。
元の飼い主が、おばあさん言ったそうだ。
「あの猫は、いつも鼻水たらして、いくら獣医に連れて行っても、風邪が治らないから、うちじゃ飼えないから、知人にあげたよ」。
「だからもう、僕の猫じゃないよ」。
その人も、知人の情報は知らないと言ったそうだ。おばあさんは、「知人」に捨てられケンちゃんを、飼うことにした。
ケンちゃんは、Pストリートが好きで、いつものんびり徘徊している。
でもケンちゃんは、いつも外が好きで、Pストリートを徘徊するようになった。数年後。おばあさんは体力が弱り、老人ホームに引っ越すことになった。
おばあさんは、猫が好きな、Pストリートのジェンに言った。
「私はもうここを去るけど、ケンちゃんは、このPストリートが好きで、いつものんびり徘徊している。たまに餌をあげてちょうだい」と。
ジェンは、家の中にすでに3匹の猫を飼っているので、ケンちゃんを家の中に入れられない。
でも、外で餌をあげるだけなら、責任もてると思い、おばあさんに、だいじょうぶ、任せて、と言った。ケンちゃんはその後、Pストリートを、ゆっくりと、のんびりと、徘徊するようになった。
ジェンと、それから5軒くらいの、猫好きな家から、定期的に餌をもらい、自由にPストリートを徘徊していた。私がケンちゃんに出会ったのも、その頃だった。
何とか我が家に、ケンを入れようとしたけど、ケンはいつも、外に出ていった。私は、自分なりにケンの飼い主を探そうとして、ジェンから、ケンの過去を知った。
ケンは今更、どこの家にも所属せず、最後まで自由にPストリートを、好きなように、徘徊して、のんびり余生を過ごしたいようだった。
それでも、ケンが我が家に入ってきて、時々、私のベッドで寝るようになった。
ケンは多分、17才くらいだったと思う。
ある夜、スーピー、気持ちよさそうに、私のベッドで寝ているケンの心拍数が高いと思い、病院で検査したら、甲状腺機能亢進症だった。
さっそく薬を始めた。
でも、毎日、同じ時刻に薬をあげられない。私はジェンに相談して、近所の人みんなに、ケンの病気を通達してもらった。早速、インターネットの共有サイトが立ち上がり、いつ、誰が薬をあげたか、という情報交換ができた。
私はその時、外を徘徊する、もとノラ猫なのに、こんなにもPストリートの住人に愛されている、というのを知り、涙がこぼれた。ケンちゃんはその後、少しづつ痩せて行き、耳が聞こえなくなり、1月の寒い夜、ジェンの家の前で、弱っているところを保護された。
ジェンが救急外来に連れていき、もうあと数時間の命と宣告され、安楽死となった。私はそのことを、インターネットの共有サイトで知った。
実感がわかなかった。こんなにもあっけなく、ケンちゃんがいなくなることが、信じられなかった。
こんなにも、あなたのことを、思い、寂しく思う。
季節は廻り、ロスに暖かい春がやってきて、ジャカランダのつぼみがふくらんできた。車でPストリートを走ると、今でも、ケンちゃんが、のーんびり、道を渡るような気がする。
いつもケンちゃんが気に入っていた家の前、木の下、芝生の上に、自然と目が行く。そこに、ちょこんと、ケンちゃんがいるような気がして。わが家に車をとめて、車から出ると、にゃーと言って、ケンちゃんがすり寄ってくるような気がする。
あれから数か月。ケンちゃんは、本当に、もう、ここにはいない。ひどい慢性の鼻炎で、捨てられて、ノラになり、そして、外猫として、誇り高く生きたケン。
私がケンちゃんと関わったのは、ほんの数年だったけど。こんなにも、こんなにも、あなたが恋しい。
こんなにも、あなたのことを、思い、寂しく思う。
ケンちゃん。I miss you.
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