なぜ、獣医師以外の人が犬の帝王切開手術をしてはいけないのか

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ブリーダーによる犬の帝王切開手術

近年、日本において犬のブリーダーが、獣医師免許を所有せずに犬に帝王切開の手術を施行した、というニュースを見ました。

私はいち臨床獣医師として30年以上犬や猫のいろんな手術を行い、帝王切開手術も多く施行してきました。
犬や猫の外科手術、帝王切開術というのがどういうものか、というのを実際に行い、また熟知しているいち獣医師としての個人的な見解を述べたいと思います。
今回話題になっている訴訟における詳しい状況や麻酔の有無、使用した鎮静薬の種類や詳細など、ニュースで聞いただけなので詳細は知りません。
ここでは、今回の裁判における責任や虐待の有無ではなく、一般論として非獣医師による手術がいかに危険であるか、ということを話したいと思います。
今回裁判になった事例の個人的見解ではない、ということを事前にご了承ください。

非獣医師による手術が危険である理由

見よう見まねで、あるいは現場で経験者から技術を教えてもらえば、外科手術はできるようになるかもしれません。
家庭で親から、野菜の皮のむき方、包丁の使い方、味付けを学べばやがて料理が作れるようになるのと基本同じです。

技術、手技は「見せる」ことで伝え、「見る」ことで取得できる場合があります。
よって麻酔をかける、お腹を切る、子犬を取り出す、お腹を縫う、覚醒させるといった一連のことは、やっているのを見るだけで、ある程度はできるようになる技術かもしれません。

問題は、動物は生き物なので、ある時かならず「異常」が発生することです。

そうした時に対処するには知識が必要です。

順調な時の手技しか持たない人と、あるいはよくあるちょっとしたミスーこの血管から出血している時はここを縛れば問題ないーといったいくつかのよくあるケースの対処しか知らない人は、必ず壁に遭遇します。
今まで見たこともない異常が動物に発生することがあります。

動物の生理学、薬理学、解剖学、成体生化学、など総合的な知識がない人は、これらの時に対処できずに動物が死亡してしまうことがあるからです。

外科手術には必ずリスクがあります。これはどんなに健康な個体でも、どんなに事前に検査をして十分に備えていても、起こりうるリスクです。

まだ手術時に使用する鎮痛薬、麻酔薬。これらを使用しないと手術はできません。どんな麻酔薬、鎮痛薬にもリスクがあります。
これらの時に迅速に対処するのに一連の知識が必要です。
そしてこれらのリスク、および手術の合併症を、手術前に最低限にするのが獣医師の重要な役目です。

非獣医師が手術をしてはいけない3つの理由

まとめると以下になります。

1. 麻酔の緊急事態が発生した時に、非獣医師では対処できない。
例えば麻酔が深くなりすぎて心肺停止する、覚醒しない、など。

2. 外科手術中に生体に異状が発生した時に、非獣医師では対処できない。

これは執刀医が誤って、他の臓器を傷つけたり、結紮がうまくいかずに出血したりというミスもあれば、生体に異変が起きてトラブルになる場合もあります。不整脈や心異常、低体温、痙攣発作、出血異常、電解質異常など様々なものがあります。

3. 安全に麻酔、外科手術ができるような環境であるか、今日このタイミングで、この手術して安全かどうか、といった手術のリスクアセスメントを、非獣医師は適切に行うことができない。

麻酔薬、鎮痛薬を使用する時の合併症

 これらは脳に作用して動物を眠らせ、傷みの知覚を制御するものです。
これらをオーバードースすると動物は死にます。不十分だと動物は痛みを感じます。
いろんなタイプの薬剤があり、心筋への作用、筋肉への作用、血圧の作用など総合的な薬理知識が必要です。

また麻酔の感度も個体差があり、また動物の既往症、サイズ、年齢、基礎疾患の有無、ブリード、妊娠週齢など、様々な複数の要因で麻酔の反応が異なります。

正しい麻酔の使用、そして、何か麻酔による異常が実際に発生した時は、獣医師の基礎知識が必要です。
獣医学を基礎から学んでいなく、実技だけ学んだ人に、麻酔の異常を適切迅速に修正はできません。
よって麻酔による異常が発生した時は、獣医師による迅速な対処が必要で、それがないと動物は「麻酔事故」で命を失うことになります。

手術中に生体に異常が起こった場合

どんなに完璧に、正しい方法で手術をしても、どんなに「ミス」を1つもせずに手術をしても、そして麻酔が適切であっても、動物に異変が発生することがあります。

心臓が急に停止することがあります。

血圧が下がって呼吸が止まることがあります。

あるいは痙攣したり、血がじわじわと出て止まらなくなる凝固異常になることもあります。

手術中に異常が出た場合は、往々にして急遽検査やモニターを追加することも多々あります。
例えば、突然不整脈が起こった場合、詳しい心電図モニターを精査し、どういうタイプの不整脈なのか、期外収縮の頻度はどうか、あるいはT波に異常がある場合はただちに電解質異常を疑い、急遽採血して電解質血中濃度を看護師に依頼し、その間に「多分高カリだろう、なぜ高カリになった?」と考えます。
血圧が急に下がった場合は、血圧上昇薬を直ちに使用すると同時に、なぜ下がったのか、心臓負荷があったのか、あるいは心筋異常があるのか考え、血圧の薬以外に輸液のスピードの変更、輸液の種類の変更なども行い、薬の反応がよくない場合は理由を考え、違うアプローチで血圧をあげます。

万が一、執刀医が間違ってどこかを少し切ったり、あるいは縛った糸が緩んだ場合も、パニックにならず冷静に、一つ一つ対処します。

どういう時に、どう対処するのか、獣医師はそれを事前に学びます。
前に一度も見たことのない異常に遭遇することも多々あります。
知らない、わからない、見たことない、誰も教えてくれなかった、ではすまされません。

あらゆる知識を総動員して考えて対処する。それは獣医師にしかできません。

リスクを最低限にするための術前の判断

今日ここで、この手術を安全にできるか、と事前に判断するのも獣医師です。

外科手術のリスクアセスメントは、総合的に判定します。
動物をしっかりと事前に検査し、手術に耐えるだけの体力があるか。リスクはカテゴリー分類で何クラスか。
その日の執刀医の技術レベル、看護師の麻酔モニター技術は問題ないか。
手術時間の長さ、麻酔の種類(ガス麻酔と注射麻酔)、麻酔モニターの種類、施設内に血液検査などの検査機器があるかないか、術後の覚醒や回復時間、今晩動物に付き添って見る看護師が必要かどうか、術後に定期的にバイタルを見るべきかどうか、など、複数のことを考えてから手術するかどうかを決めます。

飛行機操縦パイロット、アンデイー

以前、一緒に仕事をしていた獣医師アンデイーは、飛行機の操縦が趣味で、パイロット免許を持っていました。
休みの日には自分のセスナ機であっちこっち飛んで実に楽しそうでした。
ある時私は彼に聞きました。「何歳から操縦しているの?」
すると彼は言いました。「13歳だよ」と。

そんなに若い子がパイロットの資格はとれません。彼はテキサスの田舎で、飛行機操縦が趣味の父親の操縦を見て育ち、中学生くらいからこっそり操縦させてもらったそう。
見よう見まねで操縦を覚えて、父親の目を盗んで勝手に1人で空を舞ったこともあったそうだ。
でもね、と彼が言った。
「別に何も起こらなかったからよかったけど、もし何か飛行機に異常がみつかっていたら、対処できず自分は死んでいたよ。ちゃんと航空学校で学んで資格をとるのは、そのためだったと後でわかったよ」と。

例えばエンジントラブルで失速したとしたら。
急に天候が悪化して嵐や竜巻、落雷の中で飛行を余技なくされたら。
あるいは無線が壊れたら。
操縦ができても、トラブルに対処できないと飛行機は墜落します。
また、事前に飛行機のハードを確認し、機器が壊れていないか、燃料は十分かなどを確認し、また飛行前に航路と天候気象を確認し、場合によっては飛行をやめる判断もしなくてはならないでしょう。
それにはちゃんと学校で基礎を学ぶ必要があります。

獣医師免許が意味するもの

獣医師免許もパイロット免許と似ているかもしれません。

私たちが6年もかけて、基礎と臨床を学ぶのは、何かあった時に対処するためです。
そして何かが起こる前に、そのリスクを限りなくゼロにするためです。

それはお金をとって診療を業としていても、ボランテイアで行う手術であっても、まして自分の所有する動物であっても関係ありません。

すべての動物に対して、できうる限りのベストな状態、環境で医療行為をする。

すべての動物に対して、可能か限りのベストの麻酔と鎮痛薬を選択して、動物の不快を最低限にする。

それでも異変異常、あるいは事故が発生した時はすべての知識を用いて全力で対処して命を救う。

これはちゃんと教育をうけて免許を取得した獣医師でなくてはできないことです。

そういう理由で、私は非獣医師が帝王切開手術をすること、そしていかなる外科手術を執刀することにも全面的に反対します。

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Posted by Dr. Yuko Nishiyama